2008年01月31日

【指輪物語豆知識(92)】<ペレンノールの戦い(5)>死者の道

アラゴルンはセオデン王とは別に馬鍬砦に向かいます。セオデンは連れて行く兵をとりまとめる時間が必要で、アラゴルンはそれを待っていられなかったからです。
アラゴルン以下36人の一行(注1)が馬鍬砦についたのは3月7日の夕暮れ時でした。砦で1泊して翌日に死者の道に向かおうという予定です。
馬鍬砦には責任者としてエオウィン姫がいました。エオウィンはアラゴルンに恋心を抱いており、アラゴルンが死者の道に入ろうとしているのを知ると血相を変えて引き止めます。その昔、ローハン初代国王のエオルの孫にあたるバルドールが酒宴の席で死者の道など恐れるに足りぬと言い出し、皆が止めるのも聞かずに秘密の小部屋の財宝をとってくると、死者の道に踏み込みました。そして二度と戻ってこなかったのです。それ以来ローハンの人々は死者の道を恐れることが非常に大だったのです。
アラゴルンの決意が固いことを知ったエオウィンは、せめてわたくしもいっしょにお連れください、と頼みましたが、アラゴルンは当然断りました。エオウィンはアラゴルンは二度と戻らぬと確信して絶望にかられてしまいます。その絶望のあまりにアラゴルンの出発のあとに自暴自棄な行動をとることにもなるのですが、それは後日に。

3月8日未明、アラゴルンは一行の先頭に立って、馬鍬砦の奥の死者の道に入っていきました。地下道ですので全員下馬して手綱をとって馬を引いていきます。
アラゴルンの馬はハルバラドが裂け谷から連れてきたエルフの馬で、アルウェン姫からの贈り物です。その名も「ロヘリン」(姫君の馬)。エルロヒアとエルラダンの馬も当然エルフの馬。これらの馬はレゴラスらエルフたちが人間の亡霊などまったく恐れないのと同じく、亡霊に対する恐怖など知りません。そしてハルバラドをはじめ31名のドゥネダインの馬たちがその主人たちに抱いている愛情は大変に強いもので、傍らを歩く主人たちの決意がゆるがないものであれば、かれらはこの恐怖の道にさえ進んで直面しようとするのです。しかし、レゴラスとギムリのふたりを仲良く乗せていたアロドはローハンの馬です。アロドはローハンの民が亡霊を恐れるのと同様、死者の道に恐怖を抱き、先に進もうとしません。レゴラスはエルフの言葉でアロドに優しく語りかけ、なでてああげました。それによってアロドも落ち着いたので、レゴラスは手綱をとってアロドを引いて死者の道に入っていきました。(注2)
アラゴルンの最終目的地はエレヒの石(注3)ではないのです。その先南下して、モルドール軍の同盟軍として遡上してくるであろうウンバールの海賊船団を阻止するつもりなのです。馬がなくてはとうてい間に合いません。

死者の道に入ると、あきらかに何者かの気配がするのですが、はっきりとは見えません。その気配はアラゴルンらに手を出すこともなく、ただ数を増しながらあとからついてくるのがわかりました。
やがてアラゴルンたちは広間になっているところに出ましたが、左のほうに石でできた古い扉が閉ざされており、その前に1体の大柄な骸骨が横たわっているのに気づきました。これぞ本来ならローハン第3代の王になっていたはずのバルドールに違いありません。しかし埋葬している暇もなく、その扉にかまけることもなく、アラゴルンは背後にひしめく気配に向かって言いました。
「お前たちのたくわえた宝物と、お前たちの秘密は呪われた年月の中に秘めておくがいい! われらの願いは速さのみ。われらを通し、そして来たれ! わたしはお前たちをエレヒの石に召集する!」

アラゴルンたちはやがて死者の道を通り抜け、一行は夕暮れ時にモルソンドの谷(黒根谷)に至りました。再び馬上に戻り、一行はエレヒの石に向かいます。レゴラスが言いました。
「死者たちがついてくる。わたしには人間と馬たちの影が見える。それからちぎれ雲のような色薄い旗が。そして霧の立ち込める冬の夜の木立のような槍が。死者たちがついてくる」
「そのとおり。死者たちがわれらの後を馬に乗ってやってくる。かれらは召集されたのだ」。エルラダンが言いました。

                                *

(注1)前回ハルバラドが連れてきたドゥネダインが50名と書いてしまいました。勘違いでしたすみません。30名を連れてきたのでした。
(注2)映画でもそうでしたが、原作でも一行のなかでいちばん怖がっていたのがギムリです(笑)。最後はもう這うようなありさまで恐怖と戦っていました。
(注3)エレヒの石は、ヌメノールの島からイシルドゥアがはるばる運んできて設置した黒い巨岩で、玉のように丸いものでした。エレヒの丘の頂上に半分地中に埋まるように立っています。かつて誓言を破った山岳の民の王たちはこの石にかけて忠誠を誓ったといわれます。

●ずっと隔日で更新していましたが、ちょと仕事が多忙になってきたので(会社で「指輪物語豆知識」書いている(笑))、少し更新に間隔があくかもしれません。ご理解を(^_^)
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2008年01月28日

【指輪物語豆知識(91)】<ペレンノールの戦い(4)>再会と別れ

角笛城の戦いが終わったあと、セオデンはガンダルフにともなわれ、アラゴルン、ギムリ、レゴラスも共に、アイゼンガルドに向かいました。すでにアイゼンガルドがエントたちにより破壊されていることをガンダルフから聞いたセオデンは、それでもサルマンに会わねばならぬと思ったからでした。
そしてアイザンガルドでメリーとピピンとに会い、フロドとサムを除く指輪の仲間はようやくここでまたいっしょになれたのです。

サルマンはやってきた彼らに、その魔力のある声で話しかけましたが、この声を聞いた者は、自分の言っていることが間違いで、サルマンの言っていることこそが真実で正しいと思いこんでしまう危険なものでした。しかしガンダルフにはそんなものは通じません。ガンダルフが「お前の杖は折れた!」と叫ぶとサルマンの杖は折れて粉々になりました。
この際にサルマンの腰ぎんちゃくの蛇の舌=グリモが、手近にあったものを掴み、ガンダルフの頭をめがけて投げつけたのですが、この投げたものがなんとパランティアだったのです。グリモはそれがそれほど重用なものだとは知らず、サルマンのいわば切り札を投げ捨ててしまったのです。サルマンが激怒してももはやもう遅く、ここにサルマンはその「声」を別とすれば、すべての力を失ってしまったのでした。
ガンダルフたちはそんなサルマンをオルサンクの塔に閉じ込めておくにとどめ、その見張りをファンゴルン=木の鬚に託して、アイゼンガルドを立ち去ることとしました。

アイゼンの浅瀬のあたりで、裂け谷を通ってアラゴルンの支援にやってきた、ハルバラドの率いる50人のドゥネダインに遭遇したことは、「アラゴルンとアルウェンの物語」の項で触れました。またこのおりにアルウェンの織った「姫の旗」をハルバラドが持参したことも触れましたね。
ですがここでもう一度強調しておきたいことがあります。ハルバラドはアラゴルンに重用な伝言をもたらしたことです。それはエルロンドの伝言で「死者の道を忘れるなかれ」というものでした。そしてこれと同じことをガンダルフもアラゴルンに言っていたのです。
それは北方王国最後の王であるアルヴェドゥイが産まれたころにいた予見者マルベスの予見詩による進言でした。マルベスはこう予見しています。

長き影、地をおおいて、
暗黒の翼、西の方(かた)にとどく。
塔はゆれ動く、王たちの奥津城(おくつき)に
滅びの日、近づく。死者は目醒(さ)まさる。
そは誓言破りし者らに
時いたればなり。
エレヒの石に、ふたたびかれら立ちて、
丘に角笛の高鳴る音(ね)を聞かん。
角笛はだれのものぞ? かれらを呼ぶのはだれぞ?
淡き薄明の中に、忘れられし民を呼ぶは、
その民の誓言せし者の世継ぎなり。
その者、北より来たらん、危急に駆られて。
かれ、死者の道への戸をくぐらん。

「淡き薄明の中に、忘れられし民を呼ぶは。その民の誓言せし者の世継ぎなり。」この世継ぎこそがアラゴルンであるのだ、とエルロンドもガンダルフも言っているのです。だから君は死者の道を行かねばならない、と。
この民とは何なのでしょう。映画でもそのへんはちゃんと説明されていました。その昔、白の山脈には山岳の民が数多く住み着いていて、イシルドゥアに忠誠を誓い、イシルドゥアの呼び出しを受けたら必ずや兵を出して共に戦うと誓いました。しかしいざというときになって彼らはイシルドゥアの呼び出しに応じなかったのです。そのためイシルドゥアは彼らを呪い、誓言を果たすまでは永劫に休まることはないと宣言しました。
「死者の道」は白の山脈(ドゥイモルディネ)の下を通る地下道で、ローハンの馬鍬谷からモルソンドの谷(黒根谷)まで通じています。エレヒの石はこの地下道を通り抜けた先にあります。こうしてアラゴルンはその道を行く決心を固めます。

さて全員がそろったと思ったのもつかのま、また仲間はばらばらに行動せざるをえなくなります。
野営中にガンダルフの保管していたオルサンクのパランティアを覗いてしまったピピンはガンダルフにともなわれてミナス=ティリスに(注)。
アラゴルンは50人のドゥネダイン、ハルバラド、裂け谷から同行したエルロンドの双子の兄弟のエルロヒアとエルラダン、そしてギムリとレゴラスも共に死者の道へ。
メリーはというと、セオデン王の人柄に惚れ込み、セオデン王に臣従の誓いをたててセオデン王に同行します。そのセオデン王はといえば、エドラスに帰るのではなく、馬鍬砦に向かうことを決めます。角笛城の戦いは前哨戦であり、このあとミナス=ティリスを巡る戦いがあること、それも目前であることを確信しての行動でした。エドラスは各地から兵を召集するには不便な場所だったのです。ミナス=ティリスに駆けつけるとなると、いま手元にある兵ではとうてい足りません。そして兵を召集してまとめるには、馬鍬砦が地理的に便利なのです。

こうして一行は3つに別れて行動をすることとなりました。

                             *

(注1)パランティアを覗いてしまったピピンはサウロンに察知されてしまったのです。なぜならサウロンの持つパランティアは元々はミナス=イシル(後のミナス=モルグル)にあったもので、南方王国のすべてのパランティアの中でもっとも力が強く、ほかのパランティアの親石とでもいうべきもので、ほかのパランティアを覗いた者はサウロンに察知されずにはいられないのです。
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2008年01月26日

【指輪物語豆知識(90)】<ペレンノールの戦い(3)>角笛城

話をかなり戻します。

ガンダルフによって、蛇の舌=グリモによる迷妄より覚めたローハンのセオデン王は、牢に幽閉していたエオメルを解放し、エオメルもかわらぬ忠誠をセオデンに誓いました(注1)。そんなエオメルをセオデンは自分の世継ぎと定めます。セオデンの息子は戦死しており、甥であるエオメルに後を託したのです。
3019年3月2日、セオデンはサルマンの裏切りを知り、アイゼンガルドに兵を進める決意をします。まずはローハンのもっとも有力な貴族で西の谷の領主であるエルケンブランドに自領の兵を指揮させ、アイゼンの浅瀬に向かわせます。そしてセオデン自身も即座に集められるだけの兵をまとめて、和解なったエオメルとその麾下の第1軍団もともにアイゼンガルドに向かって出撃します(このおりアラゴルン、ギムリ、レゴラスも従軍したのは映画と同じです。ガンダルフがここで別行動をとるのも同じです)。エドラスは防衛に不向きであるとして、いわば見捨て、エドラスの民はエオウィン姫に指揮をさせて、安全な馬鍬砦に避難させます(注2)。

3月3日。アイゼンガルドに向かう途中で、セオデンはエルケンブランドの部隊が大敗を喫し、兵はちりぢりになってしまい、エルケンブランド自身も安否が不明であるという知らせを聞きます。さらにローハン軍を破ったアイゼンガルドのサルマン軍がヘルム峡谷をめざしているというのです。そこでセオデンはヘルム峡谷でオークの軍を迎え撃つべく馬首をめぐらせるのです。

ヘルム峡谷にはエルケンブランドの居城の角笛城があり、セオデンはここに拠り角笛城の元々の守備隊と共に守備を固めます。映画では確か700名といっていたようですが、もう少し兵はいたのではないかと思います。それでも1000ほどでしょう。対してアイゼンガルドのサルマンの軍はオークを基幹としてならず者の人間も多く参加しており1万。映画と同様の激しい戦いが繰り広げられます(注3)。
なんとか持ちこたえていたローハン軍も、一昼夜にわたる戦いのあとサルマン軍が火薬を使って城壁を崩すにいたって、もはやここまでと思われました。
3月4日の朝、最後の突撃をしようと朗々と角笛を吹き鳴らして討って出たセオデンたちは、そこで援軍が到着したことを知ったのです。それは行方もわからなかったエルケンブランドと、彼の残余の部下を中心としたローハン各地の兵でした(注4)。そしてさらには思いもかけない救援があったのです。森が動いてせまっているのです。フオルン(注5)の大部隊でした。

これらの援軍を手配したのはガンダルフです。ガンダルフが救援を求めて向かったのはファンゴルン=木の鬚のもとです。ファンゴルンが多数のフオルンを自由に動かせるのを知っていたからです。そしてその救援を求めにアイゼンガルドに進軍したエント(注6)を追っていく途中、アイゼンの浅瀬近くに敗れたあとひそんでいたエルケンブランドの部下たちに会い、状況を察したガンダルフがファンゴルンにフオルンの出動を依頼するかたがたちりぢりになったローハンの兵を集め、その過程でエルケンブランド自身も発見したのです。ガンダルフたちは兵をまとめ、ヘルム渓谷に急ぎ向かい、その途中でも兵をつのりながら駆けつけたのです。
こうしてサルマンの軍は滅ぼされ、角笛城の戦いは勝利に終わったのです。

さて角笛城にはエドラスの避難民は来ませんでしたが、ヘルム峡谷の民たちはいました。かれらはヘルム峡谷の奥まったところにある燦光洞という洞窟に避難していました。この洞窟はさしこむ光を美しく照り輝かせた洞窟で、常はローハン全体の非常用食糧や物資を保管しておく場所でした。ここを見たギムリは興奮の極に達してしまいます。こんな美しいところは見たことがないと惚れ込んでしまったのです。話だけ聞いてたかをくくっていたレゴラスでさえ、ここを見て、エルフの言葉にしてもたとえようのない美しい場所であると認めたぐらいでした。そのギムリの興奮ぶりをその場にいて目撃していたエオメルは、指輪戦争終結の後にローハンの王になったおり、この燦光洞をギムリに領土として割譲することになりますが、それは後のお話。

                               *

(注1)映画ではエオメルを追放していますが、原作ではエドラスの牢に幽閉していました。
(注2)映画ではセオデンは最初からヘルム峡谷に向かっています。それも避難民も連れて自らも避難しようとするわけです。原作ではセオデンはそんな弱気ではありません。自らサルマンを討つべく出撃していくのです。もちろん避難民は別行動であり、戦える兵士のみを引き連れていきます。エオウィンに指揮された避難民は馬鍬砦に避難し、エオウィンもエドラスの民も戦いとは無縁にすごせています。
(注3)映画ではエルフの弓手隊が増援に駆けつけてくれますが、原作では残念ながらそういうことはありませんでした。
(注4)何度も書いていますが、エオメルはずっとセオデンといっしょですので、原作では映画のようにエオメルが救援に駆けつけたわけではありません。
(注5)フオルンは木とエントの中間のような存在です。またエントがフオルンになったものもいます。意識を持った木であり、しゃべることはありませんが動くことができます。かれらはゲーム内ではおおむね闇の側の敵側として描かれていますが、古森の柳じじいのように闇に落ちたフオルンもいましたが、本来は自然の生物でいわば中立です。しかしかれらフオルンはエントの頼みはだいたい聞いてくれました。
(注6)エントらがアイゼンガルドに進撃したのは3月3日のことで、エントムート(エントの集会)によってアイゼンガルド進撃を決めた50人のエントたちが、数百のフオルンを従えて、文字通りアイゼンガルドを叩き潰したのです。映画ではエントムートの結論は戦いに介入せず、でしたが原作では最初からファンゴルンは「アイゼンガルド討つべし!」と主張しており、満場一致でアイゼンガルド討伐は決定しています。
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2008年01月24日

【指輪物語豆知識(89)】<ペレンノールの戦い(2)>烽火

さて、それでは今回からペレンノールの戦いにいたるまでの出来事を書いていきたいと思います。

アイゼンガルドの塔オルサンクにあったサルマンの使っていたパランティアを覗いてしまったピピンは、ガンダルフに半ばさらわれるような勢いでミナス=ティリスへと向かいます。ガンダルフとその前に座らされたピピンを乗せ、飛蔭は飛ぶように走ります。
やがて3019年3月9日の夕暮れどきに守護の塔が見えてきたとき、城壁の上のほうに火が見えたのです。ガンダルフは飛蔭を停めて、ピピンに叫びます。

「見よ! ゴンドールの烽火(のろし)がともされた!
見よ! アモン・ディンに火が! アインナッハに焔が見える。
ナルドル、エレラス、ミン=リンモン、カレンハド、
ローハンの国境(くにざかい)ハリフィリアンの山々に。」

映画のシーンは素晴らしかったですね。点火された烽火が次々とリレーされていくさまは本当に感動的でした。そしてエドラス(ローハンの都)で烽火を認めて、セオデン王に注進するアラゴルン。
なのですが、ここのシーン、原作とはけっこう違っています。
映画ではデネソール執政に忠告したにもかかわらず一言の元に却下されたガンダルフがピピンをそそのかして、烽火台によじのぼったピピンが火をつけますね。まずここが違う。最初にも書きましたように、烽火が点火された時点でガンダルフもピピンもまだミナス=ティリスに到着していません。あの烽火は執政の命令によって点されたものです。

だいたいにおいて映画では執政家の者がかなりひどい描かれようをしています。デネソールだけではなく、ボロミアもファラミアでさえも、そうとうに性格を変えられてしまっています。
原作におけるデネソールは大変な名執政であり、知恵も深く、尊敬の的だった人物です。その精神が徐々に蝕まれつつあったのは事実ですが、ある狂気の一点を越えるまではその苦悩を抑えつつ、見事に国の指導をしていました。そして狂気の一点を越えるのはまだあとのことです。
誰に言われるまでもなく、執政ほど援軍を欲していた者はいません。できる手はすべてつくしています。烽火だけではなく、主だった諸侯に援軍要請の伝統的な「赤い矢」を持たせた急使を派遣しています。烽火は見落とすこともあるので二重のシステムになっているわけです。事実原作ではセオデンは、この急使がくるまでゴンドールの召集の烽火が点ったことを知りませんでした。

アラゴルンやセオデンがエドラスにいた事実も原作にはありません。だいいちエドラスで烽火を見てから軍の召集をかけていたのではゴンドールの救援に間に合いません。彼らは角笛城の戦いのあと、エドラスで一息入れる暇などなく動き回っていました。このあたりのことにも触れておいたほうがいいと思います。時制的には遡ることとなりますが、ペレンノールの戦いにいたるいろいろな出来事は同時進行でもありますので、これからも時間を戻して書くことは多いと思います。

しかし続けて書こうとするとかなり長くなってしまいますので、それらのことは次回から。ペレンノールの戦いにいたるまではかなりの連載が必要と思いますが、ご容赦ください。

なお、これからも映画と原作の違いなどをいろいろ書いていきますが、これはなにも映画はだからだめ、とかの意味ではありませんので誤解なきよう。あれはジャクソン監督の心に描かれた『指輪物語』なのであって、本来はもっと作り込みたかったであろう部分も妥協しながらカットしていったものだと思います。あれは映画として大変に素晴らしいものです。歴史に残る名作といってよいでしょう。あれだけの映像を提供してくれたのですから、感謝でいっぱいです。
ただ映画ですと時間枠というものがありますので、長さを縮めるために多少の手を入れるのは仕方のないことだと思います。本サイトでは、本当ならジャクソン監督にしても描きたかったであろう原作のことどもを書いているつもりです。

本当に幸せな映画の楽しみ方は、原作を読んでいない、またこんなサイトも読んでいない(笑)状態でまず映画を見て、そのあと原作を読んで、そしてもう1回映画を見ることだと思います。うん本当にそう思いますよ(笑)。私は先に原作を読んでいたので、あの原作のシーンはどうなるのかなあ? なんて思いながら映画を見ましたので、素直に100%楽しめてなかったかもしれません(笑)。
posted by ラリエン at 10:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 指輪物語豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

【指輪物語豆知識(88)】<ペレンノールの戦い(1)>状況

映画でのミナス=ティリスは見事でしたね。実によく作られていました。ただ、映画では全般にいえることですが、スケールが原作に比べるとかなり縮小されています。都市の大きさだけではなく、地図がかなり狭くなってしまっている。本当はもっとスケールの大きい世界なのだということを念頭において映画をご覧ください。もっともゲームはもっと地図がせまくなってますけどね(笑)。
今回から何回かにわけて、ゴンドールの防衛戦について書いてみたいと思います。映画では再現されなかった「ペレンノール」のことについても書きたいと思っていました。ミナス=ティリスの門前の原での戦いが「ペレンノールの戦い」なのですが、その戦いは映画でもクライマックスのひとつとして描かれていました。しかしあれでは「ペレンノール」ではないのです。そのことも書いていきましょう。

ゴンドールの都ミナス=ティリスは当時の中つ国の最大の都です。ここはもともとはゴンドールの副都として、首都のオスギリアスを守るために作られた2つの塔(城砦都市)のひとつで、ミナス=アノール(日の没りの塔)と呼ばれていました。ここと対になるミナス=イシル(月の出の塔)が魔王の手に落ちてミナス=モルグル(呪魔の塔)と呼ばれるようになると、ミナス=アノールもミナス=ティリス(守護の塔)と改名されました。この時点ではすでにオスギリアスは荒廃して、首都はミナス=ティリスに移っていました。なおミナス=ティリスというのはシンダール語で、ローハン語ではムンドブルグといいます。
この都はミンドルルイン山の山腹の岩山の部分を利用して築かれており、都の背後は険しい山腹のために、背後からこの都を攻撃することは不可能でした。都自体は7つの階層にわかれていて、各階層は九十九折れのように(日光のいろは坂みたいに)道が走っていました。各層はだんだんに高くなり、それぞれのまわりに巨大な防壁がめぐらされ、それぞれの城壁に門があり、門の向きは互いに違う方向に向けられていました。スケールの差こそあれ、映画はそのさまをよく再現しています。
こうしてだんだんと高くなっていった最上層は、地上から700フィート(約210メートル)の高さに達し、さらにその最後の環状の城壁の中には「白の塔」の強大な尖塔が聳えていました。まさに難攻不落といっていいでしょう。

この「白の塔」最上階の部屋には、南方王国の所有する最後のパランティアが収められており、この部屋に入れるのは執政だけでした。
のちにピピンの任ぜられる白の塔の衛士は全ゴンドール軍の中から選ばれた名誉ある職で、その黒地に白の木をデザインしたチュニックは白の塔の衛士にだけ許されるものでした。白の木は王家の紋章なのですからこれを身につけられるのは大変なことなのです。白の塔の衛士は塔を守護するとともに、王の、王の不在の間は執政の親衛護衛隊でもありました。

ミナス=ティリスの正門の前には、広大な草原が広がり、これをペレンノールの野といいます。ペレンノールとはシンダール語で「垣根のある地」という意味です。この広大な(総面積450平方キロ)草原のまわりは高い防壁でかこまれており、ちょうど万里の長城のようになっているのです。しかし防壁の高さは万里の長城の比ではなく、城壁の高さの防壁を草原にめぐらしたものです。この垣根=防壁をランマス・エホール(シンダール語で「外周の大いなる壁」の意味)といいます。
映画では「ペレンノール」になっていないというのはこういう意味です。

この都を守っていたのは何人ほどなのでしょう?
当時の軍制はよくわからないのですが、封建領主制度であったのは確かです。イギリスにおいてその昔、王権を争って内戦が起こりました。そのさい女王軍と王軍に分かれたのですが、どちらの陣営も総兵力は2万ほどであったと思います(20万ではありません)。その2万も各地に散らばっていましたので、天王山的な有名な戦いであっても各陣営1500人とか2000人なのです。中国のように人口も多くなかった国なのですから。
当時領主たちが領土をたもって、その上に王がいたわけですが、領主たちの兵力はその領土にあるわけです。しかしたとえば男爵領ですと、その兵力はせいぜい200人ほど、伯爵領でも500人から1000人でした。これらの兵数もすべて足して、○○軍2万とか称したわけです。王が領主に兵を出すように命じて、初めて領主たちはその持てる兵力から何割かの兵を差し出すわけで、この集合にも大変時間がかかりますし、兵をすべて出すわけにもいきません。自領の守りも必要なのですから。
ちなみに、ローハン軍は総兵力1万でした。ゴンドールから救援要請があって、これが最後の戦いであると意を決したセオデン王でも、6000の兵を出すのがやっとでした。

ゴンドールはどうなのでしょう。ローハンが1万の総兵力だとしたら、ゴンドールはその数倍は動員力があったでしょう。しかしモルドール軍のためにゴンドールの領土は寸断されており、動員令を下しても、かけつけようがなかった兵も多かったのです。モルドールがいよいよ攻めてきそうだという情勢になって急遽近郊の諸侯に出兵を依頼しましたが、諸侯としても自領も危ういために執政の思っていた半分ほどしか兵が集まりませんでした。もともとミナス=ティリスにいた兵は2000ほどであったと思いますが、それに諸侯からの兵3000ほどを加えて、モルドール軍がペレンノールに侵攻したとき、ミナス=ティリスにいた兵は5000ほどでしかなかったと思われます。

対してモルドール軍は20万と映画ではありましたが、それはモルドールの総兵力でしょう。モルドール軍を構成するのは、オーク、トロル、海賊、傭兵、ワーグ、東夷、ハラドリム、ムマキル、そしてナズグルといったところですが、サウロンは全兵力をミナス=ティリスに向けたわけではありません。
そのころサウロンは2つのエルフの国を攻略しようとしていたのです。ひとつは裂け谷で、サウロンは北からまわって裂け谷を攻略しようと遠征軍を派遣していました。この遠征軍は、エレボール(はなれ山)で山の下王国のドワーフ軍と谷間の国の人間軍の連合軍に行く手をはばまれます。
もうひとつはロスロリアンで、サウロンはここにも軍を出しています。ロスロリアンではガラドリエルの力により、この攻撃は3度行われたすべてを撃退するにいたります。
さらに駆けつけるであろうローハン軍を妨げるために、サウロンは軍を派遣していますが、このオークの軍はファンゴルン=木の鬚ひきいるエントたちに発見され、殲滅されています。
ミナス=ティリスの北側には、ローハン軍が阻止部隊をふりきって到達したときのために、防衛戦を張っています。南側には、ゴンドールの南の領土から駆けつけるであろう援軍を阻止するために、ここにも厚い防衛戦を張っています。
そしてモルドール本国の防衛軍もいたわけで、この防衛軍は黒門前の戦いで現れますが、数万はいたと思われます。モルドール軍はこれらのことをミナス=ティリス攻略と同時に行っていたわけです。したがって、ペレンノールの戦いに参加した、ナズグルの首領の魔王が全権を委任されたミナス=ティリス攻略軍は、5万ほどではなかったかと思わます。
posted by ラリエン at 11:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 指輪物語豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月20日

【指輪物語豆知識(87)】フロドは西暦何年に旅に出た?

中つ国に繰り広げられる『指輪物語』の世界は、私たちの住む地球の過去にあった物語なんだよ、っていうことはトールキン教授も明言していますし、ご存知の方も多いでしょう。
トールキン教授があるとき赤表紙本の写本を手に入れて、それを苦心して英語に翻訳したのが『指輪物語』なのだと教授も言っています(笑)。
では、私たちの歴史の中に指輪世界があるとしたら、それはいつのことなんでしょう?
その疑問を解明してくださった方がいます。『ミドルアースの風』という素敵なサイトの管理人ならぬ管理鷲(ご当人、いやご当鳥がそう言われてます)のグワイヒア(注1)さんがその方。その素敵なサイトを紹介かたがた、不肖私めがまとめてみたいと思います。

まず、歴史の中での共通のできごとを探してそこを基点にすればいいわけですが、この基点をアトランティス伝説においています。
過去のこのサイトでの記述を覚えている方もおいででしょうが、その昔、ヌメノール王国は大変に栄えたのですが、ヌメノール人の堕落により、ヴァラールの怒りに触れ、その海上の国は一夜にして海中に没してしまいます。その失われた国はいろいろな名前で呼ばれましたが、いわく、マルン=ヌ=ファルマール(波の下の故郷)、アカルラベース(破滅したもの)、そして『アタランテ』(破滅したもの)。
そう、つまりヌメノールの国こそがアトランティスであるということが基点となります。

ご存知のように「アトランティス」伝説を広く世に知らしめたのは、かのプラトン(BC427〜BC347年)ですが、このプラトンの母方の祖先に、アテネの有名な政治家であったソロン(BC638頃〜BC559年頃)がいます。このソロンが書き残した文献を核としてプラトンが興味をもってアトランティスのことをあれこれ調べたもようです。
このソロンが、BC600年頃、エジプトへ行き、そこの神官たちからアトランティスの話をいろいろ聞いてきたらしいのです。その神官たちの話によると、9000年ほど前にアトランティスという大変栄えていた国が、一夜にして海に沈んでしまったということでした。
つまり、アトランティスはBC600年のさらに9000年前のBC9600年頃に海に沈んだというわけです。

さて中つ国の世界でヌメノールが海に沈んだのは、第2紀の3319年とわかっています。第2紀は3441年まで(第2紀3441年=第3紀元年)であり、フロドが旅に出たのは、第3紀の3018年です。これはヌメノールが沈んでから3139年ということになります。

そしてBC9600年=第2紀3319年ということになりますと、フロドが旅に出た年はそれから3139年後なのですから、この『指輪物語』第1部「旅の仲間」の年は、BC6461年ということになるわけです。現代からおよそ8500年前、中つ国では「大いなる年」が始まったのですねえ。

さらにこのサイトのすごいのは、この結果から導き出した年の夜空はどうなっていたんだろう、と歳差を計算して、フロドの眺めた夜空まで再現しちゃってます! すごいです(笑)。
↓フロドの眺めた星空
http://www5e.biglobe.ne.jp/~midearth/bessatsured/hoshi/bc6500.htm


この話のほかにも大変充実した「エルフ語講座」など原作から映画まで幅広く「指輪」の世界を網羅しています。グワイヒアさんは音楽にも長けていらっしゃるようで、指輪の音楽についても詳しく、グワイヒアさん自身の伴奏つき指輪音楽なんかも聴けます。すごいなあ、私なんか足元にも及びません。

そしてリンクを快く許可してくださいました(^_^)。ご当人いやご当鷲は忙しくてゲームしてる暇はないそうで残念なことです。
右のリンクにもはっておきますが、ここです。
↓「ミドルアースの風」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~midearth/index.htm

ぜひ訪ねてみてください、とても素敵なサイトです。ネタもいっぱい。あ、しまったここからネタ拾えなくなっちゃう(笑)。

                             *

(注1)グワイヒアは大鷲の王で風早彦とも呼ばれます。ガンダルフをオルサンクから救い、滅びの山の溶岩の中からフロドとサムを、弟鷲のグランローバルと共に救いました。『ホビットの冒険』においても大活躍します。ということはけっこうな年なのかな(笑)。マンウェの恩寵によって不死なのかもしれませんね。
なお管理鷲さんはくちばしと爪でキーボード叩いているそうです。そう書いてあります(笑)。
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2008年01月18日

【指輪物語豆知識(86)】ホビットのこと(5)

●料理と食事
ホビットというとまず連想されるのが「食」に対するこだわりぶりではないでしょうか。
ホビットたちは事情が許せば1日に6回の食事をとるそうです。しかし、もしどうしようもなければ何日も食事なしでがんばれる強靱な体力を持っています。
『ホビットの冒険』におけるビルボもそうでしたし、モルドールに入ってからのフロドとサムも何日もの間、わずかの水だけであの苛酷な旅を遂行できたのです。これがホビット以外の者が指輪を運んだとしたら、途中で力つきて倒れてしまったことでしょう。まさに最適の人選であったといえます。
もちろん平和なときのホビットたちは機会さえあれば6回どころではなく食べ続けることでしょう(笑)。

ホビットたちは、物心がつくころになると、文字を覚えるより早く料理を覚え始めます。文字を覚えるのを怠る者は多かったのですが(ホビットの識字率は50%といわれています)、料理を覚えないホビットは男女ともに皆無でした。
指輪の仲間のなかではサムが特に料理の腕がたち、仲間たちの食事の世話を一手に賄っていました。もちろんそのためには調理道具が必要で、サムはかなりの量の調理器具を運んでいきました。もちろん各種調味料も怠りありません。そしてモルドールに入って食材どころか水さえ入手が困難な場所でもサムはこれら調理器具を手放さず、荷物を減らして身軽にならなければこれ以上一歩も進めないという事態になって、ようやくのことサムは使い慣れた鍋や調理器具を泣く泣く捨てていくのです。
前にも書きましたが、ゲーム内のオート麦農場のクエストでもらえる「サムの台所包丁」は、使わなくなったいまでも私の貴重な倉庫スロットのひとつにに鎮座しています。サムが旅かえあ帰ってきたら返してあげようと思っています(笑)。

原作にはホビットの「食」に関するエピソードも数多く書かれています。

                          * 
フロドたちは袋小路屋敷からバック郷に向かう途中でマゴット農場で早い夕食をご馳走になります。ホビット流歓待でホビットにしても充分な食事をとったあと、バック郷に向かいますが、途中で迎えにきたメリーに会い、メリーは一足先に小馬でフロドの新居で待つでぶちゃん(フレデガー)に、もうすぐ到着と伝えにいきます。そのおりにメリーが言います。
「一足先にあなたの新居にいって、留守番のでぶちゃんに夕食のこととか言ってきますよ」。
「夕食はマゴット爺さんのとこで早めにご馳走になったんだけど」フロドが言いました。「もう一回食べるのも悪くないな」
時間経過を原作から考えますと、マゴットさんのとこで夕食を食べ終わってから2時間ほどで2度目の夕食をとるぐらいな感じです(笑)。
バック郷の新居に着いてお風呂でさっぱりしたあと、2度目の夕食となりますが、マゴットのおかみさんが持たせてくれたホビットの大好物の茸も料理されて出てきました。
でぶちゃんがあまり期待もしていない口調で言いました。「君たち、茸はもういいんだろう?」
ピピンが叫びました。「いるとも!」。
フロドが言いました。「これはみんなわたしのだ! 農家の女王さまからくだしおかれたものなのだ!」。
まあ、フロドは皆にも分けてくれますけどね(笑)。

                            *
メリーとピピンがオークたちにさらわれたあと、アラゴルン、レゴラス、ギムリの3人がそのあとを追跡していきます。そしてオークがローハンの騎士により殲滅された現場に到着し、アラゴルンが野伏の斥候術で、そこで起こったことを痕跡を探りながら解明していきます。その途中で1枚の大きな葉をみつけます。
「これはマルローンの葉だ。そしてこの小さな破片はレンバスだ。つまり、ローハンの騎士たちとオーク共が激戦を繰り広げる真ん中で、かれらは悠々と食事をしていたということだな。まさにホビットらしいというか・・・・」

                           *

ピピンがガンダルフと共にミナス=ティリスにやってきたときのことです。デネソール執政はふたりに賓客として豪華な家を与え、好きなだけいるように言いました。ミナス=ティリスに着いた翌朝、ガンダルフは「ピピンと朝食をとったあと」所用があるとでかけてしまいます。手持ち無沙汰になったピピンはしばらくして家の外に出てみることにしました。
外に出てあたりを見回していると、ひとりの兵士がやってきました。それは後にピピンの友人となる、ゴンドールの名誉ある白い塔の衛士ベレゴンドでした。ベレゴンドは執政に命じられて、小さい人に都を案内し、知りたいことを教えるためにきたのでした。挨拶のあとに彼は聞きました。
「ペレグリン殿、なにかお尋ねになりたいことはございますか?」
「ええとですね、どこに行けば食事がとれるでしょう?」
初対面でこれです(笑)。


こうしたエピソードを読むたびにほほえましくなりますね(^_^)。
というわけでとりとめない内容になってしまいましたが、「ホビットのこと」はこれでおしまい。
posted by ラリエン at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 指輪物語豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月16日

【指輪物語豆知識(85)】ホビットのこと(5)

●ホビットの戦い
ホビットは平和を愛する種族で、自ら戦いに出向こうなどとはまずしません。そんな彼らですので、戦いといってもほんのわずかしか記録に残っていません。そのわずかな戦いを書いてみたいと思います。

■フォルノストの戦い
第3紀1974年、アングマールの魔王は北方王国に総攻撃を加えました。そのおり、名目上とはいえ北方王国・アルセダインの臣下となっているホビットたちは、弓の名手をそろえ、急遽王都フォルノストの防衛に派遣します。しかし、これらのホビットの弓手部隊は、誰ひとりとして戻ってきませんでした。
フォルノストは陥落し、北方王国はここに滅びるのですが、人間側の記録にはホビット弓手隊のことは何一つ書き残されておらず、かれらの働きについては一切わかっていません。

■緑野の合戦
第3紀2747年、ホビット庄北四が一の庄の緑野にオークの一群が侵入しました。このおり、バンドブラス・トゥックという者が大活躍をします。バンドブラスはひときわ体格がよく、その背は135センチもあり、小馬ではなく普通の馬に乗れたそうです。彼は馬にうちまたがり、勇敢にホビットたちを指揮して、オークの族長ゴルフィンゴールを愛用の棍棒で撃ち殺しました。
バンドブラスはその体格のよさと勇敢な行動から「牛うなりの」トゥックと呼ばれました。ゲーム内でも「牛うなり」という地名がありますし、彼にまつわるクエストもありますね。

■ホビット庄の掃蕩
これについては「それから」の項で書きましたのでここでは触れません。

ホビットの戦いというと、以上3つしかありません。指輪の仲間たちの主な戦いを簡単に触れましょうか。ホビット庄の掃蕩については同じく割愛します。

*フロド・バギンズ
大塚山にて、塚人に捕らわれたおり、サムを殺そうとした塚人の腕を斬り落とします。
風見が丘にてナズグルに襲われた際、ナズグルの首領「魔王」に肩を刺されるも、フロドも魔王に一矢報いましたが、このおり魔王を刺した大塚山出土の剣は刃が溶けてしまいました。
モリアでのマザブルの間にてオークの襲撃を受け、「ホビット庄の一の太刀!」の叫び声とともに
侵入しようとしたトロルの足を刺し、侵入を食い止めます。アラゴルンが感嘆して言いました。「まことホビット庄の一の太刀よ! ホビットの一突きは深いぞ! ドロゴの息子フロドよ、あんたは名刀をお持ちだ!」。この名刀はビルボに譲られた「つらぬき丸」でした。

*サムワイズ(サム)・ギャムジー
フロドをその毒針でさした大蜘蛛シェロブを、意識を失っているフロドから借りたガラドリエルの玻璃瓶とつらぬき丸で撃退します。このおりの傷がもとでシェロブは死んだもようです。シェロブの祖先である大蜘蛛ウンゴリアントは、初代冥王のモルゴス(メルコール)でさえあわや負けそうになるほどの力を持っていたのですから、子孫とはいえシェロブを倒したのは大変なことです。

*ペレグリン(ピピン)・トゥック
フロドとサムをサウロンの目からそらすために、全滅覚悟で出撃したアラゴルンに従い、黒門前の戦いにただひとりのホビットとして臨みます。このおり乱戦の中で、トロルを倒すという手柄をたてます。彼は自ら倒したトロルの死体の下敷きになってしまい気を失い、ギムリに助け出されます。ギムリいわく、「ホビットの裸足の足はもう見誤ることなくわかるようになったよ」

*メリアドク(メリー)・ブランディバック
ミナス=ティリス門前のペレンノールの戦いにおいて、あわやエオゥイン姫の頭上に剣を振り下ろさんとするナズグルの首領の魔王を背後からその足を貫き刺します。一瞬硬直して動きの止まった魔王の隙を捉え、エオゥインがその顔面に剣を刺し通し、ここに魔王は滅びるのです。メリーもまたエオゥインと同等の働きをしたペレンノールの合戦の英雄として讃えられたのでした。
この魔王を刺した剣もまた大塚山出土の西方国産の剣でした。ピピンがトロルを倒した剣も大塚山出土の剣だったと思われます。

いざとなればホビットたちも素晴らしい戦いぶりをしめすのです(^_^)。
posted by ラリエン at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 指輪物語豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

【指輪物語豆知識(84)】ホビットのこと(4)

●行政
ホビット庄は東西南北4つの四が一の庄にわけられ、数多くの村があります。しかしどの村にも村長というものがいません。ただひとつ長のおかれているのが、ホビット庄のいわば首都ともいうべき大堀町で、ここに町長がいます。
大堀町長はホビット庄全体の庄長も兼ねており、ときによって町長と呼ばれたり庄長と呼ばれたりします。町長=庄長はこの時代には珍しく互選で選ばれる公職です。
庄長の下にある公的機関は警察である庄察隊と、郵便組織の2つのみで、大変に小さな政府といえます。ホビットたちは町長=庄長の仕事を「年に2度の宴会(ライズとユール)の司会を務める」ことだと認識しています(笑)。実際あまり仕事らしいこともなかったようで、助役を置く場合もありますが、ほとんどのときは補佐は置かれません。基本的にホビットたちは昔の開拓地がそうであったように、自活していたのでしょう。

町長=庄長のほかの主な公職としては「セイン」があります。
ちょっと前の記事で勘違いしてアルセダインに任命されたかのように書いてしまいましたが、最初にセインが置かれたのは第3紀1979年で、これは北方王国が滅亡して5年後にあたります。戴く王がいなくなったため、保守的なホビットたちが、生活の形を変えないために作ったものと思われます。
セインとは王の代理として、ホビット庄議会の議長を務め、ホビット庄軍の総司令官を務める者となっています。これだけ見ると大変に立派で、ゴンドールの執政と同等に見えますし、事実他国のホビットの事情をよく知らない人はそう思っていた部分があります。
しかしホビット庄議会もホビット庄軍も平時には存在しないのです。有事のときにのみ召集されるのですが、この「有事」というのが平和なホビット庄では、とんとありません(笑)。
ホビットたちはセインをいわば名誉職とみなしていましたが、それでも尊敬を集めていました。
初代セインはブランディバック家(当時はオールドバック家)の沢地のブッカでしたが、3代目のセインからセイン職はトゥック家が継ぎ、代々世襲でこの職はトゥック家の当主が継いでいきました。指輪戦争の代のセインはピピンのお父さんのパラディンU世で、「ホビット庄の掃蕩」のおりにはセインとして立派に職務を果たしました。後にはピピンがセインを継ぐこととなります。

役職というのとは違いますが、有力な立場にあるものとして、バック郷の「館主」があります。バック郷のブランディバック家の当主は館主(ブランディ館の主という意味ですね)と呼ばれ、有力者として遇されました。その実は封建領主といった立場であったと思われます。それも王侯といったものではなく、中世イギリスの荘園主というところでしょう。大地主、豪農という感じかな。
後にメリーが館主となります。

このバック郷は「東境」と言われましたが、後にエレスサール王(アラゴルン)より向が丘連丘から塔山丘陵一帯が下賜され、ここを「西境」と名付け、サムの娘婿(エラノールの夫)のファストレドが区長に任じられています。立場としては館主と同じようなものだったのでしょう。

ついでに書きますと、ホビット庄暦の1427年(第3紀に直すと3028年だから、第4紀7年にあたるかな、ああややこしい(笑))にエレスサール王は勅令を発して、ホビット庄に人間の入ることを禁じるとともに、ホビット庄を北王国保護下(注1)にある自由地と定めました。
1434年(第4紀14年)、このころ庄長はサム、セインはピピン、館主はメリーでしたが、エレスサール王はこの年に、庄長、セイン、館主を北王国の顧問官に任命しています。

                         *

(注1)北王国といってもかつての北方王国に王がおかれたわけではなく、エレスサール王の王権の及ぶかつての北方王国の地、という意味です。つまりはエレスサール王とその王朝の保護下においたわけです。
posted by ラリエン at 12:42| Comment(5) | TrackBack(0) | 指輪物語豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

【指輪物語豆知識(83)】ホビットのこと(3)

●ホビットの暦
エルフを除いて、どの種族でも1年は365日としていましたが(注1)、ホビットは独自な暦をもっていました。
ホビットたちはホビット庄暦というものの始まりを、北方王朝から土地を割譲されて移住した第3紀の1601年と定め、この年がホビット庄暦第1年となっています。
ホビットは1年を12ヶ月にわけていたのはわれわれと同じですが、毎月は等しく30日であり、その結果毎月1日は必ず土曜になり、最後の日の30日は必ず金曜となりました。彼らの週の始まりは土曜だったのです。なお。彼らの休日は金曜でした。
さて、そうすると1年は360日にしかなりません。残り5日はどこにいったのでしょう? これは3日と2日にわけられます。

まず3日は、6月と7月の間の夏至とその前後にあてられます。この夏至を含む3日間ははライズ日とよばれますが、正確にいうとこの3日はライズ1の日、夏至、ライズ2の日といわれます。うるう年には夏至のあとにライズ重日というものが置かれました。これをわかりやすく書くと、
6月29日>6月30日>ライズ1の日>夏至>(ライズ重日。うるう年のみ)>ライズ2の日>7月1日>7月2日
となります。

そして2日間が年末年始に置かれ、これはユール日と呼ばれました。
12月29日>12月30日>ユール1の日>ユール2の日>1月1日>1月2日
ユール1の日が大晦日、ユール2の日が元日にあたります。つまりホビットたちの1月1日は新年第2日ということになります。

ライズ日もユール日も月には入れられず、また曜日もつけずに、祝日とされました。これらの日にホビットたちは宴会を開き、お祭りをするのです。年末年始は12月29日と12月30日、1月1日と1月2日も祝日とし、つまり6日の間がユールの祭り期間となります。
なにやら来週に「ユールの季節」という公式イベントがあるようですが、なにをするのかな?(笑)

ホビットたちはこの暦をがんこなまでに守り、第3紀が第4紀に移行したおりも、われ関せずと彼らの暦で数え続けました。人間たちは、その昔はドゥネダインの王たちが定めた「王の暦」を使い、その後ゴンドールの執政がそれを改定した「執政の暦」を使い続けていました。
ホビットたちは自分たちの暦が大変便利でこれ以上のものはないと言っていましたが、ひとたびホビット庄を出るとそうも言っていられませんでした(笑)。たとえば指輪戦争のおり、行方が知れなかったガンダルフは風見が丘の頂上のケルンの石に、「G3」とルーン文字で書き置きを残しましたが、これは10月3日にガンダルフがここに来たということです。この日付はホビット庄暦ではなく、執政の暦ですので、ホビットたちの思っている10月3日とはずれてしまいます。
フロドは赤表紙本に『指輪物語』を書くときに、執政の暦で表記するようにしているのですが、ときどきホビット庄暦がまぎれこみますし(注2)、赤表紙本のほかの部分はホビット庄暦で書かれていたりしますので、混乱してしまいます(笑)。

なお蛇足ですが、エレスサール王(アラゴルン)は第4紀にあたり新しい暦を定めましたが、そのおりに指輪保持者に敬意を表して、フロドの誕生日である9月22日(ホビット庄暦では9月25日)を祝日として定めました。この祝日はうるう年には2日間になり、コルマレ、すなわち「指輪の日」と呼ばれて王の支配の及ぶすべての地で祝われましたが、ホビット庄でこの日を祝ったという記録はありません。
ホビット庄における指輪関連の祝日としては、ホビット村のお山のまわりではホビット庄暦の4月6日を祝日として、宴会原っぱ(旧誕生祝いの原)でダンスを繰り広げる習慣ができました。これはある者は庭師サムの誕生日だといい、ある者は金色の木の花が初めて咲いた日だといい、ある者はエルフの新年だと言いましたが、その実は第4紀の始まった日でした。
またバック郷では毎年11月2日の日没時にメリーの持ち帰ったマーク(ローハン)の角笛が吹き鳴らされ、大篝火がたかれましたが、これはホビット庄に初めてマークの角笛が響き渡った、水の辺村の戦いを記念してのことでした。

                                  *

(注1)不死のエルフは時間の概念が違いますので、その1年、クウェンヤ語でいうイエーンは52596日、われわれの数え方だと144年にもあたります! もっとも短い年、つまりエルフ以外のいう年も並行して使用していたようです。
(注2)たとえばアルウェン姫が輿入れのためミナス=ティリスに到着した日はライズ1の日と記され、アラゴルンとアルウェンの結婚式は夏至に行われたと記されています。
posted by ラリエン at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 指輪物語豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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